最近は米国株の決算の記事ばかり作成しているので、たまには株と関係のない記事を作成したいと思いました。決算の記事っていい勉強にはなりますがなんか仕事のように感じてしまいますね。
スロプロの友人の話
私が学生時代の話なので10年近く前の話です。
専門学校1年生の時、私は友人数人とよく行きつけのスロット専門店に通っていました。
そのお店は変わったお店で17時になると設定4の台を発表し、18時になると設定5の台を発表し、19時になると設定6の台を発表していました。
さらに店長が発表する際には台の扉をガチャッと開けてデジタル表記の「6」の数字を見せて
「ほんまに設定6やからね」
と教えてくれるのです。
現在では設定の公表はダメなようですが、当時はそれがOKだったのです。
負けても買っても私は友人と通い続けていたのですが、突然、1人の友人が
「俺はこの店は研究したら勝てると思う」
と言い出したのです。
私には理解できませんでしたが、どうやらその友人によるとこのお店はリールガックンすれば設定上げが確定でさらにだいたいどの設定かがわかると言います。
その後、友人は上記の発言をして数日後にはスロプロになり、そのお店だけで毎月50万以上は稼いでいました。
さらに、2〜3ヶ月で学費を親に返し専門学校も辞め学生寮からも出て行きました。
専門学校なので初年度はたしかもろもろ込で120万〜140万円ぐらいだと思います。
また、より勝率を上げるためお店の常連とチームを組みほぼ毎日高設定台に座り打ち続けていました。
当時のその友人が負ける時は設定6を打っているのに運悪くハマった時だけだったと記憶しています。
私も打ち子をしたり、設定のいい台を教えてもらっていい思いをさせてもらいました。
学生時代はお金がなかったので非常に助かりました。
順風満帆なスロプロ生活に暗雲
スロプロ生活をたしか4年ぐらい続けていたのですがなんと、スロットの設定公表がダメになってから急にそのお店がメダルを出さなくなったのです。
すると、友人は困りますよね。
スロットで生活しているのにスロットで稼げないんですから。
しかし、友人はスロットもパチンコも大好きなので諦めません。
他のお店で打っても勝てていたのですがこれまでほどは稼げなくなりスロプロ生活を辞めました。それでも毎月20万以上は稼いでいたと記憶しています。
次はパチプロになりました。
その作戦はハネモノの機種で回転率がいいものを打つというものでした。
誰でも思いつきそうなことですが、それにもどうやらコツとかお店のクセとかいろいろなものがあり毎月40万以上稼いでいました。
好きを仕事にしても辛いものは辛い
スロットもパチンコも大好きでそれを仕事にまでした友人でしたが、私たちにその生活をおすすめすることはありませんでした。
理由は
- 時間換算すると給料がかなり安い
- 肩も腰も痛める
- これからも安定して稼げるとは限らない
- 若い間は周りと比べると年収はいいけど、長い目でみれば正社員の方がいい
さらに今までは好きなことでしたが、仕事にしてしまったのでもうスロットもパチンコも楽しんで打っていないと言っていました。
好きで始めたのにもう楽しめなければ、辛いことばかりになります。
それでも、友人はたしか25歳まではこの生活を続け、それからはマジメに働くと言っていました。最悪、就職できなくても実家を継ぐとも言っていました。
稼げなくなってから辞めるのではなく、稼げているうちに辞めるという友人の判断は投資家に向いていたのではないかと今になって思います。
スロット・パチンコで結果をこれだけ出したてきたのだからデイトレーダーでもそこそこ稼げていたかもしれません。
もう24歳の時から会っていませんが今頃あいつは何をしてるのだろうか?
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